妙見山にも桜が咲き、やっと春らしくなってきました。
風は冷たくても、日差しが暖かく、なんとなく気持ちの良い毎日です。
近くのダムの水も、最近の雨のおかげで潤ってきて、山頂では草木が喜んでいるようです。
さて、令和3年4月1日 発行の「妙乃見山」です。
是非ご覧ください。(画像をクリックすると記事ページが表示されます)
『自転車僧形』/服部憲厚
自転車乗りにはいい季節がやって来た。
といえども、私の場合は流行りのロードバイク乗りではない。
専らママチャリに、法衣姿の僧形である。
数年前から、運動不足解消のため近所の檀家さんのお参りは、自転車を使うようにしている。しかし最近この自転車僧形で出かける機会が徐々に減りつつある。
一つは檀家さんの高齢化で、毎月の月命日参り「月参り」が減ったためだ。
「これからお寺はどうなるのだろう…」悩める若僧が今日も自転車のペダルをこぎ、お寺から一歩外へ飛び出すと、意外な反応に出会うことがある。
よほどめずらしい姿なのか「あっ!お坊さんや」という小学生の声に、初めはあたふたしてしまった。
「あれなに?」と不思議そうに私を指さし母親に尋ねる幼稚園くらいの子。信号待ちの間にスーツ姿の男性から「亡き母の供養、してもらえません?」と声を掛けられることもあった。
自転車姿のお坊さんは親しみやすいのか、このようによく声を掛けられる。
お寺離れなどと言われて久しいが、世間がお寺から離れたのではなく、お坊さんが、世間から離れたせいではないかと愛車のママチャリをこぎながら考えた。
法華経には永遠の寿命をもつ仏さまの存在が説かれている。仏様は常に悩み苦しむあらゆる人々に救いの手を差し伸べ続ける存在なのである。
あらゆる人々と共にあるべきお坊さんが、お檀家さんの救いばかりに必死になっていたことは否めない。
だが今、お寺やお坊さんも変わろうとしている。
お釈迦さまの教えを次世代に伝えたいと、SNSでの発信や、初めての方でも参加しやすいお寺の行事開催など、多くのお坊さんたちが試行錯誤されている。
ぜひとも、こんなお坊さんを見かけたら、気軽に声をかけていただきたい。
三千年続く仏教。
僧の形は変われども、いつでもみなさんに寄り添おうとしている気持ちは、今も変わらないのである。
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